死の舞踏から学ぶ14世紀欧州
ねこ助の息抜きブログ

死の舞踏から学ぶ14世紀欧州


疫病や戦争が生じると、民衆は時として狂気に陥ります。16世紀に疫病が流行った際には、疫病の原因を吸血鬼の仕業と考えた人々が遺体の口にレンガを詰めたといいます。芸術を始めとする文化から当時の人々の心の傷を窺い知ることができます。

今回ご紹介するのは14世紀頃のヨーロッパ、イングランドとフランスの間で「百年戦争」の開戦、ジャンヌダルクの活躍があった時代です。同時期にヨーロッパは大きな経済後退を経験し、魔女狩りなどの凶行がなされました。芸術作品から当時の文化の一端をご紹介します。



14世紀 魔女狩り

14世紀の欧州事情


ヨーロッパの経済が後退に向かい始めたのは1320年頃です。農作物の不作による食糧不足や、長期にわたる戦争により多くの地域で死亡率が大幅に上昇しています。その非常に苦しい状況に追い打ちをかけたのが「疫病」の存在です。

ペスト、チフス、天然痘等が多くの人々の命を奪っていったのです。ヨーロッパ全体としては全人口の約4分の1もの人が死亡したといわれています。フランスのアヴィニョンでは1400人もの人が3日で亡くなったとされています。

当時のヨーロッパでは、食料と人口のバランスが非常に危うい状態にありました。疫病がヨーロッパを襲う以前の1300年の時点で既に、ヨーロッパの農業生産高の上昇は頭打ちになっていました。

技術革新や新しい土地の開拓も限界で農業生産高の増加が人口の増加に追いつかなくなっていたようです。その大きな後退は15世紀に入り、ようやく回復に向かい始めることになります。


社会現象 宗教と芸術


その後退の結果、一種の集団狂気が弱者(女性や子供、老人など)を襲いました。スケープゴートを探す動きが、ユダヤ人の虐殺や、「魔女」や異端者の火あぶりに繋がっていきました。当時の絵画や文学が,死や呪いといったテーマを繰り返し描いているところからも、人々の心の傷がいかに大きなものであったかが分かります。

具体的な例を挙げると、宗教ではフランドル絵画にて「テゥールネの鞭打ち苦行者」、死や呪いに関しては「死の舞踏」と呼ばれる寓話(およびそれをもとにした一連の絵画や彫刻)などがあります。

鞭打ちは13世紀に端をなす苦行の一つです。やや脚色があるものの、「ダヴィンチコード」でも描かれました。今日ではキリスト教でも過度な苦行は異端とされていますが、14世紀の経済後退時には終末論とともに一部の人々に受け入れられていたようです。

死の舞踏は14世紀のフランスの詩が起源となっており、生きていたころは異なる身分であっても死によって無に統合されてしまうという死生観を表しています。当時の絵には墓場、骨、擬人化された「死」などを多く見ることができます。(死神や死を擬人化させて描く作品は死の勝利、死の凱旋とよばれることもある)この他にも「メメント・モリ」(死を忘れることなかれ)という言葉をモチーフにした作品が多々あります。


死の舞踏
画像は数ある「死の舞踏」の一例


魔女狩りについて

 
魔女について補足します。ヨーロッパの各地域によって人々の「魔女」の認識はそれぞれ異なっていました.北欧の宗教裁判で裁かれた「魔女」には男性もおり、男女ともにwitchと呼ばれていたようです。

ドイツなどの東欧諸国では魔女をhexe(生と死の狭間にいる女)と呼び、こちらは女性を「魔女」とみるものだったようです。出産の介助、病気の看病、傷薬の処方などの仕事に就く人が魔女扱いされることが多かったとされています。

女性が魔女として迫害をうけることが多かった理由ですが、(北欧地域は除く)男性による支配が圧倒的であった時代では女性の職が限られていたためと考えられます。中世最大の後退の中、多くの貧困階層の女性は売春や呪術(貴族階級の婦人たちの間で恋愛に関係した魔術や呪術がブームとなっていた)を生業として生活苦を乗り越えていました。

しかし、いつの時代にも特定の土地、職業、想像上の存在を排除しようとする動きがあります。その対象が中世ヨーロッパでは「魔女」と呼ばれる存在でした。社会や家庭を支配していた男性が、女性に対して,薬剤作りや売春、占いなど女性特有の病や気質などを取り上げて、「魔女」へと仕立て上げました。このように女性をどこかいかがわしい存在とするジェンダー観こそが魔女=女性という図式を人々に与えていったのだと考えられます。